時々でいいから
どもども、ひゃくとんです。
気が付けば8月も半分が過ぎ。
蝉もミンミンからカナカナに代わる、お盆の季節。
所用あり。
わりと頻繁に帰省している私とは違い。
弟は年に1回程度しか実家には帰らないらしく。
既にひゃくとん家は墓仕舞いをしており。
定期的にお墓に行くというイベントから疎くなってしまいましたので。
正月以外はなかなか親に会っていないらしい(´・ω・`)
「たまには帰ってきてほしいよね」
と嘆く両親も少しずつ年を取っており。
シワの多さや肩の小ささに年月を感じたりしております。
年波。
もちろん。
行かなくなったからといって。
偲ぶ機会が減ったかというと、そんなこともなく。
それは故人に対しても一緒で。
節々で。
手を合わせるたびに、
お婆ちゃんや曽祖母におねだりしております(´_ゝ`)
こんなふうに。
お盆のときにでも思い出していくのって、
寂しさもありながら、大切な時間なのかなと思うとります。
「人が死ぬ時は人に忘れられた時さ」
と叫んだのは漫画のキャラクターだったか。
この世界は。
とんでもないスピードで回っているので。
新しいことに必死で追いつこうとしていると。
後ろを振り返る間もなく過ぎ去ってしまい。
大事なことを忘れてしまいそうになることも、しばしば。
思い出というものは、文字通り。
思い出さなくては、なくなってしまうものです。
だからこそ。
ときには「お盆」というイベントをきっかけにしてでも。
時折、追懐し憶うことも忘れてはいけないのかな、と。
好きな人気配信者も。
「話題にしてあげることこそが弔い」
であると話していたことがあり。
本当にその通りで。
冒涜を恐れず思い出したタイミングで、
少し不作法でも過去に触れること自体が、
残されて生きている者ができることなのかもしれませぬ。
30年以上生きてくると。
人生もそろそろ折り返しなのだろうと、
しみじみすることも多くなりますが。
残された中でも1日も良い日になるように。
抱えきれないほどの冥土の土産を作っていきたいと思います。
黙祷。