国浪とんコツ日記。

真面目に不真面目なお医者、ひゃくとんによるコツコツ便り。

お笑いの研究家さんと差別意識。

けっかはっぴょー

 

どもども、ひゃくとんです。

 

気がつけばもう3月。

2026年が始まったかと思えばもう年度末。

年越しの瞬間が懐かしく感じる季節です。

 

年末といえば。

有馬記念にクリスマス、お正月もそうですが、

なんだかんだ毎年楽しみにしているのが、M-1グランプリです。

www.m-1gp.com

 

我が家はいつも、家族と一緒に「採点」しながらみており、

リビングはさながら「M-1審査会場」と化しておりますけれども。

家族のお笑いに対する思いはとてつもなくてですね……。

ラジオのハガキ職人の如く深夜放送を聴き漁り、

単独ライブへ足を運ぶこともあるんですよ。

その熱量たるや、医局のカンファレンスより遥かに高い。

 

しかし弊害もあり。

普段の会話が結構、お笑い芸人を意識しているんですよ。

節々に「なんでなん」という絶妙な間隔のツッコミが入ったり、

ボケに対する「一言ツッコミ」を研究したり。

「お笑いの研究家さん」と揶揄したくなるほどの仕上がりっぷりなのです(´・ω・`)

 

わたしも思わずカウンターとして。

せっかく作ってくれた晩御飯メニューに対して、

「構成はベタだけど、素材のパンチが効いてるね」なんて評論しかねない。

 

そんな平和な光景を眺めながら、ふと考えてしまったのです。

「お笑い界の人たちって、自分たちのフィールドを特別視しすぎてはいまいか?」と。

お笑いをやっている人は、お笑いは特別なもの、聖域だと思いすぎている気がします。

 

かつて明石家さんまさんは、

「お笑いを競争させるのは大嫌い。審査員にお笑いを審査するほどの腕があるのか!」

と吠えたそうです。

 

M-1主催の松本人志さんも

「笑いで一番を決めるのは絶対無理。賛否両論だから」

と同意見を述べているご様子。

 

これって一見「笑いの多様性」を認める寛容な言葉に聞こえますが、

裏を返せば「審査する側は、される側より常に上でなければならない」

という強烈なランク意識の表れではないでしょうか。

 

でもですよ。

映画のアカデミー賞や、アートの世界だって、

本来最優秀なんて決められっこないものですよね。

それでも彼らは業界を盛り上げるためにあえて「1位」を決めるムーブメントを作る。

それがプロの興行というもので、「お笑いは一番なんて決められへん」と拒むのは、

ある種の優越感に胡座をかき、お笑いを他の芸術より「高尚な聖域」に置こうとする、

甘えのようにも見えてしまうのです。

 

土田晃之さんもバラエティ番組で、

「お笑い評論家に大喜利をやらせろ!」と声を荒らげたという話を聞きました。

「文句があるなら舞台に出て、客を笑わせてみろ」という理論です。

 

この発言自体にも若干懐疑的で。

だって、グルメ評論家に「飯を作ってみろ」とは言わないじゃないですか。

グルメ評論家が自腹で行く店は絶対に美味しいはずという等価関係ならわかりますが。

 

それならば。

「お笑い評論家が自腹で行くライブは面白い」という視点はあってもいいはずなのに、

なぜか芸人さんは「お前の方が面白いこと言えるのか」という、

土俵違いの勝負を挑んでくるんですよね。

 

野球選手が野球マニアを嫌っているなんて話は、あまり聞きません。

(サッカーのフーリガンみたな熱狂的なファンは別として)

ファンは商品に金を払い、会場に足を運ぶ。

それは対等な取引のはずなのに、殊にお笑い界だけは、

観る側を「ただ笑うだけの受動的な存在」として、

一段低く見積もっている気がしてならないのです。

 

その差別意識が最も生々しく露呈するのが彼らの女性観で。

若手芸人さんの間でよく聞く「ファンに手を出すのは最低」という言葉。

一見、紳士的な規律に聞こえますが、ややもすれば、

自分のことを純粋に好きだと言ってくれるファンは、

自分より格下の「素人」だからNG、けれど、

女子アナやアイドル、グラビアといった世間的な評価が高い女性を射止めるのは、

「でかした!」と賞賛される風潮はすごく感じますよね(●`ε´●)

 

これは相手の内面ではなく、

相手が持っている社会的ステータスを自分の戦利品にする、

いわゆるトロフィー・ワイフの論理です。

 

自分を支えてくれるファンを仲間としてリスペクトするのではなく、

明確に「格下」として見下す。

そこには、日本の古き良き(あるいは悪き)ヤンキー文化や、

歪んだ体育会系の選民意識が色濃く反映されているように思えます。

 

医療の世界も、ときに専門家以外の口出しを嫌う閉鎖的な側面があります。

でも、患者さん(受け手)の視点を「素人のくせに」と切り捨てた瞬間、

その医療は独りよがりの傲慢に成り下がります。

 

お笑い芸人さんも、もしかしたら。

「お笑い」という鎧を脱ぐのが怖いのかもしれません。

だからこそ、ファンを格下に見ることで、自分たちの立ち位置を守ろうとしている。

 

我が家の「お笑い評論家」たちの、時に鬱陶しくも熱心な分析を聴きながら、

専門家こそ、受け手の評論を謙虚に楽しむ余裕が必要なんだなと、

自戒を込めて思うひゃくとんでした。

もういいよ、どうもありがとうございました!

タイムトラベル給与明細。

下品も上品も。

 

どもども、ひゃくとんです。

 

いよいよ今日は医師国家試験の合格発表。

自己採点である程度の結果はわかっているとはいえ、

私のようにボーダーライン上の受験生は最期までドキドキですよね。

どのような結果でも、頑張った皆さんにサチアレ。

 

受験生の皆さんのSNSを見ていると、

当時の「受かる気がしないけれど、お腹は空く」という、

あの独特で不条理な感覚を思い出します。

 

思い返すとあの頃は。

お金がなくて大変で……。

 

そんな事を考えながら、ふと。

今の自分の給与明細を眺めていて思いました。

もし、あの頃の万年金欠ひゃくとんにこれを見せたら、

一体どんな反応をするだろうか、と(´・ω・`)

 

当時の私は(も)、決して節約家ではありませんでした。

むしろお金がないくせに、ストレスが溜まればコンビニで新作のスイーツを買い込み、

現実逃避のために欲しくもない文房具を揃えてしまう……

そんな計画性のない貧乏を謳歌しておりました。

 

あまりにも無計画すぎて、

通帳の残高がいよいよ3桁になってしまうなんてこともあり。

ATMで「お取り扱いできません」という冷酷なメッセージが出たときには。

「受かったら……受かったら一気に取り戻してやるんだからね!」と、

負けヴィランのような捨て台詞を心の中で吐いていたものです。

はひふへほ。

 

そんな明日をも知れぬ生活をしていた私に、

今の給与明細を突きつけたらどんなふうに思うのだろうか。

「大学生のひゃくとんよ、見たまえ。」

「君が今、銀行残高を見て絶望している金額。」

「未来の君はそれを『一晩の当直』で稼ぎ出すようになるぞい」

 

明細に並ぶ、当時の全財産を軽々と超えていく支給額。

学生の私はきっと、宝くじ当選なり悪いことでもしているのかと驚くかもしれません。

 

しかしこれは。

君がこれから数え切れないほどの夜を病院で明かし、

責任という名の重圧と引き換えに手に入れる、

血と汗と眠気、命の結晶(前借り)なんですよ(´;ω;`)泣

 

今の私は流石に、スーパーのレジ前で計算をすることはありません。

欲しい本があれば一瞬でポチり、

疲れているときにはタクシーという文明の利器も躊躇なく使います。

 

でもね、過去の自分。

今の私はあなたが持っていた根拠のない万能感や、

試験が終わったら何をしようか、と妄想する純粋な時間を、

お金で買おうとして買えずにいます。

 

当時は「お金さえあれば全ての悩みが解決する」と思っていたけれど。

実際は稼げば稼ぐほど失いたくないものや守らなきゃいけないプライドが増えて、

悩みはむしろ複雑になっていたりもします。

 

贅沢を知った今の私から見れば、

君が食べていた、安っぽいけど最高に美味かった深夜のカップ麺の味が、

少しだけ羨ましくもあるのです。

 

もし過去の私に明細を見せたら、

「うおおお! よっしゃ、勉強する! 寿司だ! 回らない寿司を食べるんだ!」 と、

非常にシンプル(かつ下俗)なモチベーションで机に向かうことでしょう。

 

今の私にできるのは。

あの頃の自分が憧れた「金払いの良い大人」を演じつつ、

たまにATMで残高を確認して「あ、3桁じゃない」と、

ホッとする小さな幸せを噛みしめることくらいです。

 

受験生の皆さん。

合格の先にはちゃんと美味しいご褒美が待っています。

札束……もとい、夢に見た生活を掴み取るために、あと少しだけ駆け抜けてください。

お疲れ様でした!

義理と、人情と、ホワイトデーと。

今宵の闇へ 君をいざなう


どもども、ひゃくとんです。

 

2月のバレンタインでは。

「チョコ食べないのよ」なんて強がってみせた私ですが、

気がつけばカレンダーは3月。

 

「お返し」という名の義務教育、

ホワイトデーの足音が近づいてきましたね(´・ω・`)

hyakuton100t.hatenablog.com

 

正直。

この時期のスイーツコーナーをうろつく男性陣の、

「何を買えば正解なんだ……」という絶望の眼差し、私は嫌いじゃありません。

 

人生を振り返れば。

数あるイベントの中でも、ホワイトデーほど静かな日はありませんでした。

 

そもそもバレンタインに何も発生しないのでお返しの悩みなど皆無。

あの頃の自分に、

「未来の君は、職場の義理チョコのお返しにデパ地下の行列に並ぶことになるんだぞ」

と教えたら、きっとそんな人間関係が複雑な職場なのかと絶望するに違いありません。

カナシミブルー。

 

さて、医師という立場になってからのホワイトデー。

これはもう、ある種のリスクマネジメントに近いものがあります(;・∀・)

 

以前、喧嘩の作法として「スイーツは最強の麻酔である」という話をしましたが、

ホワイトデーこそがその本番です。

友チョコであっても職場チョコであっても、ここで「お返し」の選択をミスることは、

術後の経過観察を怠るのと同じくらい致命的。

 

大事なのは、

相手の「期待値」を適切にコントロールすることです。

 

人は期待するからがっかりするんですよ。

ならば敢えて「お返しは期待しないでね」というオーラを出しつつ、

当日、絶妙なラインの焼き菓子を「はい、いつもお疲れ様」と差し出す。

 

この期待値のアンダーコントロールこそが、

職場という名の生態系を円滑にする生存戦略なのです!\(^o^)/

 

お菓子を返したという事実よりも、

あなたの好みをちょっとだけ考えましたよという姿勢を、

(演技でもいいから)トッピングする。

「これ、美味しいって評判だったから」という一言の枕詞を添えるだけで、

お返しの糖度は3割増しになります(ひゃくとん調べ)。

 

結局のところ、ホワイトデーはお返しをする日ではなく、

感謝という名の麻酔を撒いて、向こう一年の平和を買う日なのかもしれません。

 

バレンタインに何ももらえなかった同志の皆さんも、悲しむ必要はありません。

お返しをするコストを回避できた、という合理的勝利を噛みしめつつ、

自分用にちょっと高いチョコを買って、血糖値を上げていきましょう。

 

てなわけで。

自分専用の高級マカロン買って帰るぞい!

ダンガンロンパ!