どもども、ひゃくとんです。
※本日の内容は、
ちょっとだけ、死とか人生とかに触れる内容なので、
御苦手な方はスキップしてください。
なんて。
物騒な注意書きをしておりますが。
内容自体は非常に薄く、恒例のひゃくとん戯言シリーズでございます。
ひとりごつ。
医療業界で働いていますと。
直接的に命の現場に関わるなかで、
千差万別の生きざまに触れる機会があり。
普段から、どうしても「死」について考えざるを得ませぬ。
当たり前のことですが。
命あるものは例外なくすべて、
いつかはこの世とはおさらばしなくてはなりませぬ。
自分は。
あとどれくらい生きて。
どんなところで死んでいるのだろうなと。
ふと。
死に場所についても考えが及び。
自宅であったり施設であったり病院であったり。
はたまた舞台やステージの上であったり。
理想と現実の中、年を重ねると頭の片隅にイメージせねばならず。
しかしこれまた半生に左右されやすく。
この業界に居ながらにして。
自分自身についてはどこか他人事で。
かといって真剣に考え始めると、答えのない問題に取り組んでいるようで。
回廊をぐるぐる。
そんなウジウジしていた頃。
同じ医療職の友人と話していた時に。
「人生の最期をどこで送りたいか」
みたいな真面目な話になったんですよ。
やっぱり自宅が良いとか。
迷惑かけずに施設に入りたいとか。
色んな価値観が入り乱れる中。
「イタリアが良いな」
って言った方がおりまして。
曰はく。
旅行先でふらと訪れた名も知れぬ海辺が、
それはそれは綺麗な景色だったそうで。
本当に辛くなったら、そこから身を投げる!と
笑いながら話しておりました(´_ゝ`)
ほうほう。
悩み過ぎずに。
気軽に決めるのもまたいいようで。
人生で何かあったら、そこに行ってみよう、という。
ある種の心の拠り所がひとつでもあると。
少し心が落ち着くのかもしれません。
個人的には。
医師の責任の一つに「場所」を提供することもあると思っていて。
死に場所を見つける職業ではなく、
生きる場所を探す職業であるべきで。
最期の瞬間にどんなふうに「生きていたいか」を、
一緒にギリギリまで追求する出助けを行うことが、
究極の医療だと考えておりまする。
いつか来る、その日に。
誰がいてくれて。
何を思って。
どんな景色を見ているんでしょうか。
「死」について巡らせながら。
「生」について焦点を当てていく。
そのあとのことは、
実際になってから考えるとして。
人生は短いからこそ。
一歩一歩しっかりと進んでいきましょうかね。
ずんずん!