アンダンテ。
どもども、ひゃくとんです。
縁あって都内在住となり早数年。
なんと移動の便利なことよ。
都会の足。
最高。
家賃も物価もすこぶる高いですが。
最寄り駅に大抵のスーパーやコンビニがあり、電車やバスは数分置き。
見渡せば、右にタクシー、左にレンタルサイクル。
映画を見るためにショッピングモールに行く必要もなく。
無印良品は県庁所在地まで行かなくても良い。
その街全体の文化的利便性に出費していると考えれば、
ほどほどに妥当な価格設定なのかもしれません。
勿論。
これは私が上記に価値を見出しているからで、
地方都市には地方都市の、田舎には田舎の価値があることは重々承知。
なんて。
世知辛い世の中が板に染み付きすぎ、ちょっとしたクリーニングでは落ちもせず。
もはや誰に向けての予防線なのかも分かりませんが、兎にも角にも。
今のひゃくとんは、この東京砂漠にも概ね満足して生活しております。
ぶーい。
電車と言えば。
父が転勤族だったため必然的に転校する回数も多く、
その都度通学経路が変化していたので、電車通勤歴は結構長いんですよね。
月並みな話題ではありますが。
乗車中の過ごし方は固定していなく、その時節によって転々と乗り継いでいた記憶があります。
ドア付近に鎮座してひたすら単語帳を開いてみれば。
顔を上げて過ぎ行くアパートの屋上に忍者を走らせてみたり。
座っては文学に勤しみ。
ソシャゲをし、ネット記事を読み、ブログの下書きをし。
学生時代は郊外に住んでいたというのもあり、
それはそれは穏やかな通学風景でした。
が。
いまやキャピタリズムのど真ん中。
満員電車。
キツい。
都心に利便性を求めてしまった結果、
烏合の衆として不便性を生み出してしまっているという矛盾。
宛ら現代のオロール船、囚われているのは傲慢か資本主義かも分からず。
テレワークとは何とやら。
結局は対面だ、会議は往年のコンベンションだ、と。
コロナをもってしても因習のような風土病というものは完全には打破できないまま。
地方が死に体になることで首都圏集中に拍車がかかり。
ドーナツ現象どころか。
外までさっくりシロノワールになってますよね。
もぐもぐ。
そんな、ある朝の出来事を、ひとつ。
「……前の駅で体調不良のお客様の救護活動をした影響で、現在10分程の遅れて……」
連続した日々の中で定期的に不定期に訪れるアナウンスの声に、
今日も月曜日が始まったのかと初めて目が覚める気持ちになりました。
満員電車に耐えられなかったのか。
或いは、同じように過ぎていく今日という朝に愛想が尽きたのか。
何処かに確実にいる、別の世界線の自分かもしれない体調不良を尻目に、
たかだか10分の遅れで謝罪しなくてはいけない職員にも、
そんな非日常で日常な毎日にも慣れてしまい、またか遅延かと生き急いでいる自分自身にもウンザリ。
そうこうしているうちにも、少しずつプラットホームは膨らんで。
さらに膨らんでいるであろう車両が歩くような速さで静かに辿り着きました。
扉が開くや否や。
陀多(かんだた)の存在しない蠢きが入り乱れ、
降りるのか乗るのか、降りたいのか乗りたいのかも手繰り寄せることができずに。
望まずとも背後から同じ資本主義の罪人に唆され、遠のく意識の中、既に車内に紛れ込んでいる自分に気が付いたと思えばアラームとともに乗車口が閉まりきると。
一瞬の静寂。
普段よりも詰め込まれたレールの上のそれは、
食パンの型みたいだな、と独り言ておりました。
目下。
東京の御手に流し込まれたその卵か小麦粉たる我々は。
天を仰ぎながら時が過ぎるのを待ち、さながら洩ったりとした生地の様に振舞い、さりとて決して交わることはなく、各々がバイプレーヤーとして癌と動かず。
想いは一緒のはずなのに、赤の他人であることを良いことに。
あるはずのない安全地帯を求めては期間限定の堂々たる立ち振る舞いに姿勢を正し。
ある者は代わり映えのしないニュースを見るために。
またある者は定刻とみるや石だのアイテムだのを配給的に受け取るために。
液晶を見ていないと自我を保てない徴証はないのに、その数分も耐えられぬといったような眼差しでスマホに熱視線を注ぎ、情報の朝シャンプーを浴びる。
上を向けば。
吉高由里子がまるで現金史上の塊を見下すように「金利0円」と言いながら微笑んでいて。
ポケットに手を忍ばすことも出来ない私は静かに目を閉じて、彼女が営むバーで飲むトリスハイボールの事を想うしかありませんでした。
そんな折。
前の車両との間隔調整か、はたまた通勤電車も生き急ぐ乗客に中てられたのか。
突然のブレーキ。
成す術もなく、慣性の法則で望み通り前進する人々。
人という字の様に。
無意識に隣の他人に寄りかかっていた材料達が右に左に篩にかけられ一同によろけ始めました。
つい先まではなかった余地に傾くパン生地。
偏向とその反動で揉みくちゃになりながら、
自分がどのようにバランスを保っていたのかも分からず、誰の足かも分からない下地を踏みつけては、我こそはと立ち上がったふりをして、しっかりと凭れ掛かっていくのでした。
ああ。
人間関係と同じだ。
本当は自分の足で立ててなんかいないのに、およそ一考思索する葦が如く、
与えられている近状に寄りかかっては蔦を伸ばし、満足もしていないのに桃源郷の住人として踊り、大木に擬態し。
建前だけでもまっすぐに立ち続ける素振りをして、皆目立派な社会人として御座っている。
このままミキサーにかけられて。
次に列車を止めるならば自分の番なのだろうかと、
沸々と泡が膨れ上がっていた、その。
刹那。
「……自分の足で立てよ。」
小さいけれど確かに聞こえた、野太い音吐。
その言葉は生地の中にある卵の殻のような異質さで、にも拘らず、
ぎゅうぎゅうに詰まった車内を一瞬で凍り付かせるには十分なほどの低温度で。
張り詰める空気、漂う緊張感。
身動きも取れず。
誰が誰なのかも判別できない乗り合わせ。
まさか、物騒がしいニュースの被害者になるのでは、と。
既に動いてはいない電車の中で、憂懼疑懼が渦巻き始めていた。
そんな状況にも拘らず、私は。
朦朧とした認知の須臾、
噛み締めるように発せられた男性の声により、
私が食パンではなく人間であることを思い出したのです。
自分に向けられた言葉ではないことには気づきつつも、
よもや漏れ出たのが自分の声帯かと見紛うほどには狼狽いし、
既に揺れていない車内で心だけが動揺して。
不意によろけるまでは同じくクリーム色に見えていた人々も、
肌があり、背丈が違い、同じ方向を向いているようで、まったく個別に過ごし集まっているという、
尋常一様に何の変哲も無く凡庸な日常の主人公達であることを回顧しました。
私は。
自分の足で立てているのだろうか。
敷かれているものが精巧なレールか遊歩道かも判断できずに、
周囲が丹精込めて練り上げた精巧な生地でいたいと溺れていたのは、
都心に住むことで発酵し膨らんだ虚栄のかがり火によるものではないのか。
誰にも指図されず、唯我独尊と誇りを持ち、
その過剰な自意識をも凌駕する最高の人生を送っている。
そう思いたいのは、誰で。
そう思わされていると感じているのは、誰で。
私は。
「間も無く到着します、お急ぎのところ電車遅れて申し訳ございませんでした。」
哲学に耽る隙もなくドアが開き。
パンパンに張り詰められた乗客と共に、
生クリームの様に押し出されたときには声の主の姿はもう見えず。
不安定ながらも確かにそそり立つ気持ちだけは残り、
口を開けて待っている東京の胃袋だか皿だかに吸い込まれていく。
……。
そんな、ある朝のひゃくとんなのでした(´・ω・`)
ちゃんちゃん。