死にたくなるよ なるだけだけど
どもども、ひゃくとんです。
いきなり不謹慎な話をすると。
高齢者って、愛くるしいですよね(´ω`*)
敬いがないとか馬鹿にしているとかではなく。
純粋無垢。
その動きひとつをとっても、
欲望のままに生きている(生きてきた)シワをとっても、
じつに人間らしくっていいなと思うんです。
よく言われることとして。
赤ちゃんと高齢者は似ているって話がありますよね。
認知機能の低下もあり、言葉も上手く出ず。
食事や排泄にも介助が必要で。
人生の最期の段階になると。
どんな道のりを歩んでいたとしても最後の最期には素直に正直に生きる姿は、
過去の反省なのか、生命としての運命なのか。
生物として「弱い(敢えてこの言い方をする)」状態になると、
言動や振る舞いが似てくるのもなかなかに興味深いです。
これは人間だけではなくすべての生物がそうで。
全盛期を過ぎたすべての生きとし生けるものものは、
初めと終わりは一緒の姿になる。
そうなのだとすれば。
人生のピークっていつなのでしょうか。
人間らしさってなんなのでしょうか。
脳神経や筋肉には限界があり。
運動に関しては30歳前後が脂の載る時期。
知的活動にしても経験値を捉えた40代が最前線で。
以降は後輩育成(或いは老害)の境地になりますし。
他方で。
生まれたばかりの状態や、
余命幾何もないお見取りの段階が最も動物的だとも見えますし、
一番生き物らしい、自然な形のようにも見えます。
とはいいつつも。
我々は社会性のもとに相互理解で成り立っているので、
赤ちゃんや高齢者はどうしても支えられる側になってしまう。
かといって。
なんでもできるこの時期に何かを成しているかと言われれば、
帰ってきてもスマホの画面だけみて終わる人生。
人間性と命って共存できないのだろうか(´Д`)
ともあれひゃくとんは、
動物らしさと人間らしさを穿き違えている感じもありますが。
純粋無垢な姿が本来の人間であると思いたいだけなのかもしれません。
利己的で理論的で、
対話やソーシャルを重んじるのが人間だとしても、
私利私欲に自分のためだけの生活することを目指すことが、
いちばんに人間臭いとはしたくない自分がいる。
性悪だの性善だの考えているのは人間だけで。
でも、そんなことを考えずに生きたい私は既に人間を放棄しているのでしょうか。
みんな自分勝手。
そう思っている自分が最も勝手。
誰にも見られていないよ、という格言は、
誰からも見られてしまうよという現実へのアンチテーゼなアドバイスで。
何を言われても傷つかないし。
何も言われなくても既に傷だらけで。
昨日も明日も自分とおはようございます。
そうです。
お酒が入ると碌なことがないって話です(´_ゝ`)
心にも休肝日を。
献杯。