雨が踊る バス・ストップ
どもども、ひゃくとんです。
結構前なんですけれど。
「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」
を観に行きまして。
勿論のように現地チケットは外れてしまい。
なんとか当選した映画館のライブビューイングで参戦。
いやはや。
面白かったですね。
普段、芸人さんのラジオを殆ど聴かないひゃくとん。
リトルトゥース*1の家族に連れられ、
ほぼ前知識なしで鑑賞していたわけですが。
フリートークの中で、若林さんが、
「Uber Eatsで街に繰り出すようになって近所の解像度が上がった」
ってお話をしていたんですよ。
無機質でモノクロに感じていた世界が、
実際はカラーであるという当たり前の事実に改めて気づいた、というか。
人見知りで世の中への関心が薄いと、
自分の周り以外は色合いがないように思えてしまうという話に、
物凄く共感して聴いておりました。
人見知りといえば。
ひゃくとん自身は30にもなって、結構なシャイ豚でございまして。
初対面となると、かなり身構えてしまい。
「なにか上手いことを話さなくては」と、
かなり気取って饒舌になってしまう癖があります(´_ゝ`)
とはいえ。
社会人にもなって今更、
「自分、人見知りなので」などといって、
自分の問題を相手に擦り付けるようなことはせず。
頑張って話しかけるように毎度勇気を振り絞っており。
そのせいもあってか。
他己評価は意外と正反対で。
「ひゃくとんって誰にでも気軽に話しかけるよね」
と言われることが多いです。
言われてみれば。
シャイと言いつつ、見知らぬ人に道を聞いたりするのは平気で。
内心とは裏腹に、誰にでも声掛けはしてしまう。
はて。
これはどうしてなんだろ、と。
出勤前に自問自答(´・ω・`)
朝からバス停でうむうむウトウトしていると。
あ。
これだ。
と、フラッシュバック。
小学生くらいの頃。
家族でバス移動をしていた情景。
やんちゃだった私、バスの車内で結構に騒いでおりまして。
親に宥められても叱られても、
ギャイギャイ燥いで窓を眺めていたところ。
乗客のおじさんに突然。
「静かにしなさい!」
って注意されたわけです。
このイベントはひゃくとんにとってかなり衝撃的で。
知らないおじさんに怒られた、
という事実も然ることながら。
「知らない人も自分に怒るんだ」
という認識に切り替わった瞬間だったんですよ。
物凄く失礼な言い方になるんですけれど。
当時の自分にとって、親以外のバスの乗客は全員「モブ」だったわけです。
あくまでも世界は自分を中心に回っていて。
バスの乗客も、商店街のひとも。
小学校の友人も友達も。
自分という世界が作った登場人物に過ぎないと信じており。
まさかその一人一人に自我があり。
自分の人生を歩んでいるなんて考えられなかった訳です。
書きながら。
相当にサイコパスな他者を思い遣れない人間でしたね(笑)
そのNPCだと思っていた人それぞれも、
自分の人生を歩んでいる主人公で。
その人たちにとっては自分の方が脇役で。
そんな当たり前の「世界」に触れたら。
目の前に広がる、解像度が。
ぶわーっと広がったんです。
遅咲きながらそれ以来。
世界中の人が主人公ならば。
誰にだって話しかけても応答してくれるはずだ、という。
謎の倫理観が芽生え。
緊張なんかしなくても。
誰もが主人公であり、モブなんだから、
自由に話しかけていいのではないか?
そんな風に思えるようになったんですよね('ω')
物凄い極論というか暴論なんですけれども。
当時も今も、みんな生きているんだ、という事実は、
私の中ではとてつもなく気が楽になり得まして。
自分ではどうしようもないこともあるという絶望感が、
還って生きるのには心地よいと感じることもなるんです。
かなり脱線しましたが。
世の中の見方が変わるだけで、
世界は自分が作っていて、自分だけで作られていないんだから、
気さくにのんびり過ごしてみようと。
そんなことを寝ぼけながら考えて。
誰にでも無関心に関心を持って。
ポケっと歩いていきます。
決意表明!
*1:オードリーラジオリスナーの呼称らしい