
後悔はしない
どもども、ひゃくとんです。
新年明けすぐの連休は非常に有難く。
年越しで忘れてしまった労働脳のリハビリとして、
徐々に仕事の感覚を思い出していくことは大切で。
といいながら年末年始も普通に勤務していたひゃくとんにとっては、
感覚も既に鈍麻で緩和療法が必要ではあり。
そんなことは。
本日、成人を迎えるかたにはそれこそ社会人の戯言で。
大人になることへの通過儀礼として、
メリハリを付けずにゾンビ労働している私のような豚の反面教師として、
盛大に祝ってほしいところです(´ω`*)
おお。
意図せず前回もオトナトークでしたので続きをば。
法律的な成人を迎えると、
自己責任の名のもとに社会的行動範囲が広くなります。
お役所的な手続きもそうですが。
結婚やクレジットなどの人生設計に、
20歳になればギャンブルやタバコ、お酒といった嗜好品。
特にこの趣味が広がるといったことがやっかいで。
政府が用意した社会人の息抜きとして、
これほどまでに影響力があるものはなく(身体的にも精神的にも)
だからこそ自制というものが叫ばれている訳です。
自制や節度というものは実に人柄に左右されまして。
殊にアルコールは日ごろの鬱憤や不平不満を吐き出すには、
絶好の起爆剤となり。
伝え方も考えずあれやこれやと内に秘めた真実をさらけ出し。
日常からそんなことを思って隣でニコニコされていたのだと気づくと、
人間の社交性の高さに驚きながらも酷く鬱々とするわけです。
無論。
年齢的なことのあり、文殊の知恵として経験を語ってもらえることは、
非常に喜ばしいことでありますが。
お酒の力を借りなければ、
このひとからは一生教えてもらえなかったのではという疑心感や、
年功序列を盾にサンドバッグにされている感もぬぐえず。
決まり文句である、
「君のためを思って言っているんだよ」
が炸裂するたびにその効果は抜群で。
そんな重大案件を平場で冷静に指摘されなかった原因を考えているうちに。
アルコール血中濃度はマイナス迄冷え切り。
かといって、お酒の席のことはお酒の席だけでとも消化できず。
こういうことをブログに愚痴っている時点でまた、
反省していないだのだから叱ったんだのと言われることは覚悟で。
殴られればイタイ。
目が覚めても。
発した人々は渾身のストレートでスッキリ爽快。
対照に、打たれた側のアザや切り傷は残ったままで。
まるでハタチの主張が如く当たり散らしていますが、
既に30も半ばを過ぎていれば真意が別にあるのではと疑いの目は常にあり。
この人は別に。
君のため、私のためを思っているんじゃなく。
融通の利かない私を動かすことで利益を得るため、
発言者たる自分のためを思って叱っているといったことはないのだろうか。
期待しているから言っているんだよ、という助言は。
その枕詞に「言えば自分の思い通りになるはずだから」という、
誘導たる人形の糸が含まれてやいないか。
言いなりやイエスマンを作るための下地として、
年輩者の型に無理やり押し込むために尖ったナイフを向けているのでは。
と、素直に受け取れないくらいには捻くれて育ちました。
内省や自己分析をしたくても。
どうして飲み会やお酒の席でしか話してもらえないのかが引っかかり。
普段話しづらい環境を作ってしまっていること自体に問題があるのだとすれば、
こぶしやナイフを向ける矛先が違っていて、
まずはシステムや体制を立て直すことが重要なのではないか。
社会人だから。
大人だから。
わざわざ叱られなくても。
ある程度の原因や指摘される内容は理解はしているんです。
自分なりに解決しようとして、
対策して藻掻いてなんとかやり抜いていることは評価されず。
たった1%の失敗だけを永遠にやり玉にあげられ。
こちらは年上の不備を一ミリも伝えていないのをいいことに。
打ってこないからと永遠に的にされている後輩もいるのです。
叱られる機会が多くなると。
人のある種汚い一面が多く見れて洞察的になり。
反対に普段見られない美質を逃さず触れられるような気もしています。
年功序列が崩れようとしている今。
歳を重ねたことだけが誇りの大人が数多くいる。
変化が怖いというのならば。
現状維持が一番の希望だというのならば。
こちらもブレずに生きていこうと思います。
などなど。
内容的に詳細が書けず支離滅裂な文言を並べましたが。
まあ。
まとめると。
シラフで叱ってよ。
と、それだけのブログでした。
皆さんもお酒には飲まれ過ぎず。
良い新成人をお迎えくださいませ。
コンベ!