国浪とんコツ日記。

真面目に不真面目なお医者、ひゃくとんによるコツコツ便り。

たとえ話と教養と。

この世はでっかい宝島。

 

どもども、ひゃくとんです。

 

渋谷のハロウィンが、人混みを表すワードとなって久しいですが。

10月が終わるとクリスマスや年瀬が目前ですね。

師走。

 

師(僧侶)が東西に忙しく走り回る季節ということで。

年末総決算、慌しくも穏やかに過ごしております。

例えるならば。

狩りの前のマインド、といったところでしょうか(*´ω`*)

ホーホー。

 

……。

 

そうそう。

ご存知らずの通り。

わたくし、たとえ話が大好きなんです。

 

なにかを説明するときには必ずと言っていいほど「たとえば」と話し始め、

その例えが逆に説明を難解にするとのことで友人家族に顰蹙をかうこともしばしば。

 

そういえば。

お笑い芸人のEXITが結構前に、たとえ話界隈(?)で物議を醸しましたよね。

www.sponichi.co.jp

掻い摘んで説明すると。

「若者はドラゴンボールもプロレスも知らないから、例えられても分からん」

といった物言いです。

 

面白ければ知らない例えでも笑えるんじゃないか?

自分たちは若者言葉を使い、(図らずしも)Z世代をターゲットにしているだけで、

ドラゴンボール世代も若者を相手にしていないというお互い様の話では?

という批判はさておき。

 

実際に、放送による地域差として空白の世代が存在するようで、

その視点を「若者の総意」として世代間認知差の例えに落とし込むのは

如何なものかという論調もあるようで。

 

まあ。

言わんとしていることは理解できます。

 

ドラゴンボールやプロレスもそうですし。

野球やサッカーのルールを知らない人だっているわけです。

 

たとえ話に限らず、

言葉のチョイスや文化許容度によってもだいぶ変わってきますもんね。

 

それこそ例えば、慣用句。

「烏合の衆やねえ( ゚Д゚)」

と言われて、雰囲気で意味は分かっていても、

普段から使う言葉か?と言われればそんなことはなく。

カーカー。

 

知っていることと、実際に会話や例え話のなかで使うこととは、

別問題として考えなくてはいけない気がします。

 

たとえる技術

 

会話術の書籍でも良く取り上げられている内容ですが、

共通認識の幅を相手によって変化させることが重要なんですよね。

 

知っているから使ってよいか、と言われれば。

その相手次第ということは前提で。

 

その前提も「これくらいは知っているだろう」という、

自分と相手との「物差し」に差があっては、伝わらない。

 

文化的教養をどこまで許容できるのか。

何を以て無知とするのか。

 

少し話題は逸れますが、

講演会の鉄則として、有名な格言があります。

 

何かを説明するときは、一つ下の年代を意識すること。

社会人に説明するときは、大学生に理解できるように。

大学生に理解させるときは、高校生に教えるように。

高校生に教えるときは、中学生に伝わるように。

中学生に伝えるときは、小学生に分かるように。

 

兎にも角にも。

コミュニケーションにおいては

どの層へ向けて伝えているのか

しっかりと意識すると良さそう、ということですね(`・ω・´)

 

勿論。

言葉を知っていれば知るほど、

カルチャーを知っていれば知るほど、

より人生が豊かになる、ということは言うまでもありません。

 

物真似や世間の皮肉だって、

元ネタを知っていれば、より面白くなりますもんね。

 

ウィットに富んだ発言をするためにも。

高尚なギャグに一早く気づいて呵々大笑するためにも。

 

人生日々勉強。

という、なんとも格好の良いオチで締めさせて頂きます。

ケッコーケッコ―。

コケコッコ。

 

……。

 

寒さに負けず。

温かくして過ごしてくださいませ(/・ω・)/