ハイクラスパック楽しみ。
どもども、ひゃくとんです。
サトシくん。
優勝おめでとう!!
……え?なんの話かって?(‘Д’)
もちろん。
アニメ「ポケットモンスター」のお話でございまする。
ピッ・ピカ・チュウ。
現実世界ならば35歳になろうとしている砂利ボーイ。
遂にポケモンリーグで世界一となりました!
みんないい表情。
ポケモンって、凄いですよね。
全く興味がない人でも、ピカチュウと言われれば黄色いネズミが浮かぶはず。
よもや東京オリンピック紹介ムービーに出演するまでの国民的キャラクターになるとは。
感慨深いものです。
わたくし、どっぷりがっつりポケモン世代なんですよ。
小学生の頃にポケモン赤・緑が発売し。
単三電池4本で20時間しか起動しないゲームボーイを片手に、
どうぐの上から7番目やら13番目やらでセレクト連打し即座に戦闘に入り、
草むらでコイキングをミュウ変えたりふしぎなアメを量産して過ごしておりました。
知らない方には何のことやらですね(´・ω・`)
兎にも角にも、幼心にほどよく熱中していたようで。
親にせがんで、幕張メッセで開催されたイベントに連れて行ってもらったり、
近所のゲームショップで開催されたポケモンカード大会に出場するほどには、
熱狂的なポケモントレーナーとして育ちました。
ポケモンへの愛好の深さは計り知れなく。
ゲーム好きが高じて、その後も新しいハードで発表されるたびに購入し、
11月18日発売の最新作も既に予約済です。
どれくらい好きかというと。
表題の通り、夢の中でポケモンと出会うくらいには好きなようです。
流石、最強のポケモン。
ミュウツーはトランプも強かったです。
ババ抜き。
ミュウツーといえば。
我々の世代では、劇場版ポケットモンスターの記念すべき第1作目の主人公であり、
リメイク作品も上映されるほどの根強い人気作品です。
懐かしすぎる。
全く分からない人にも安心な簡単なあらすじをば。
ポケットモンスター、通称「ポケモン」という生命体が人間と共に暮らす世界で。
悪の組織ロケット団の実験によって生み出されたポケモン、ミュウツーが目を覚まします。
彼は、伝説のポケモン「ミュウ」の化石の一部をもとに様々な改良を加えられ、戦闘力や知能など高い能力を付加されて作られました。
しかし、ミュウツーは「人工的に作られた自分は一体何者なのだろう」と存在意義について疑問を抱き、研究所を脱走してしまいました。
一方。
ポケモン同士を戦わせるポケモントレーナーのチャンピオンを目指す少年サトシは、仲間や相棒のピカチュウと共に旅を続けておりました。
そんな彼のもとに、ある招待状が届きます。
「優秀なトレーナーをポケモン城に招待している」という内容に惹かれたサトシは、胸を躍らせながら城へと辿り着きました。
到着したポケモン城には、サトシの他にもたくさんのトレーナーたちが自慢のポケモンを連れて招待されていました。
しかし、その招待状を出したのはミュウツーであり、彼はポケモンでありながら自身もポケモントレーナーとして城に君臨し、招待客の強いポケモンを操作しコピーを作成しようと目論んで待っていたのです。
次々と奪われコピーが作られていくポケモンたち。その会場に突然ミュウも現れて……。
みたいな映画です。
20年以上も前の映画ですが、ストーリーは今も鮮明に覚えていて。
夢に出たからということもあり、
今回はこのまま、ミュウツーの逆襲について語ろうかと思います('ω')
あらすじの続きで。
いよいよ、自己存在を賭けた、本物のポケモンとコピーのポケモンの戦いが始まります。
「確かにわたしはお前から作られた。」
「しかし強いのはこのわたしだ。本物はこのわたしだ!」
「もとのお前たちと私たちのどちらが強いか」
それに対しミュウも“本物は本物だ”と言い放ちます。
技など使わず、身体と身体でぶつかれば、本物はコピーに負けないというミュウと、
本物よりも強く作られた我々が負けるはずがないと応戦するミュウツー。
二人の戦闘を機に、オリジナルvsコピーのぶつかり合いが始まります。
そのバトルを目の当たりにして、ポケモントレーナーは言葉もでません。
ポケモンとコピーポケモンとのバトルは、ゲームでも競技でもなく、
「ポケモン」と呼ばれる存在同士の戦いで、
人間であるポケモントレーナーの意思の通じない戦いだからです。
ただ、呆然と見ているしかないんですよ(; ・`д・´)
このシーン。
当時小学生の私は、
その場に居合わせたそれぞれのキャラクターの気持ちになり。
ものすごく感情移入しながら見入っていた覚えがありますが、
大人になった後でそのシーンを見直してみると。
かなり各キャラクターの色分けがはっきり出ているんですよね。
たとえば。
ミュウは、自分のコピーであるミュウツーを見て無邪気そうに笑っているんです。
しかしその実、コピーであるミュウツーには負けられない。
負けてはならない本物のポケモンである自負があるような表情で相対してるんです。
ミュウツーは、ミュウに勝つことが自己存在の証となる(と思い込んでいる)。
他のポケモンの本物とコピーポケモンも同じく、バトルに勝った方が存在する意味があるはずだ、と。
だからこそ、意図せずとも。
ミュウツーはミュウと向き合うように、
気付けば、同一種類のポケモンの本物とコピーの戦いになっていきます。
“誰もが(人間も含め)自分とまったく同じものが存在することを認めたがらない”んです。
そんな中。
ロケット団団員のムサシとコジロウは、その戦いに自分達の姿を見ます。
「この戦いは自分たちの姿を見ているようだ」という2人の台詞は、
「自分たちはロケット団だ」といつも大見えな口上で名乗りながら、
少しも本来のロケット団になりきれていない、いや、もしかしたら本当はロケット団になる気もない、自分たちの心の葛藤が透けて見えます。
自称ロケット団の2人には、
並みのロケット団ではないという自負さえある(普通のロケット団とは衣装の色も違う)のに、ロケット団を名乗る矛盾があるわけです。
映像はポケモンたちに切り替わります。
サトシのピカチュウは、ゲットされた時点でもう野生のピカチュウではありません。
人間に育てられ、人間とともにいる。つまり“本物”とは言えない。
しかし、とはいえコピーでもない。
ある意味。
生物であるポケモンとしては不確かな存在ではないでしょうか。
自身が不確かな存在なのに、自分のコピーと戦うことができるだろうか。
自分が不確かが故に、コピーへの反撃ができない。したくない。
サトシのピカチュウが持つ性格のやさしさだけではなく、
自己存在の不確かさもあるように見えました。
他方、コピーのポケモンも、
無抵抗なサトシのポケモンに不確かなものを感じています。
それはその行為自体が、自身の存在の不確かさの証明でもあるかのように。
「なぜ、戦ってくれないのか?」
コピーのピカチュウは苛立ちを隠さず、何度も何度も、サトシのポケモンを殴ります。
でもサトシのピカチュウは応戦せずに、ただ、殴られるまま。
やがて、コピーのピカチュウは殴り続ける自己の不確かな存在が悲しくなってくるような表情となってきます。
不確かなものと不確かなものの戦いに意味があるのか?
それどころかそもそも自己存在意識に、確かなものがあるのか?
それは「自己とは何か?」と問い続ける自己存在の不確かさにもつながっていく。
人間の言葉を勉強し話せるようになり、直立できるようになり、
人間になりたかったロケット団のニャースは、自己存在について割り切っています。
人間になりそこなって、本来のポケモンにもなりきれないロケット団のニャースは、
自己存在というものに何か諦観したものを持っています。
バトルをすれば体が痛い。死ぬかもしれない。
自己存在の証明にそれほどの価値があるのか?
ロケット団のニャースは、コピーのニャースに空を見上げながら言うのです。
「今夜の月は満月だろな……」
自己存在のための戦いなんてどうでもいいじゃないか。
ともかく戦わなければ、ロケット団のニャースも、コピーのニャースも、傷つかずに一緒にのんびり今夜の月を観る事ができる。
達観諦観、わびさびの世界のようなものを感じ、
どこか、日本らしさの残るシーンで印象に残っています。
……。
長くなってしまったので。
記事を二つに分けたいと思います。
つづくったら、つづく!