国浪とんコツ日記。

真面目に不真面目なお医者、ひゃくとんによるコツコツ便り。

オレンジ色の自転車と、テセウスの船。

ボールペンはパワータンク、一択。

 

どもども、ひゃくとんです。

 

つい最近。

無くしては新しいものを使い、

忘れたころに見つかってはどんどんストックが増えていった黒ボールペンを、

見事に1本使い切りました。

パチパチ。

 

最初から最後までインクたっぷり。

同じものを使い続けるのは気持ちが良いですよね。

トッポ。

 

突然ですが、皆さん。

昔から使っているものって、ありますか?(´・ω・`)

 

奮発して買ったお気に入りの鞄とか。

思い出の品でなかなか捨てられずにないもの、とか。

 

そんなに多くはないですが、

私の、変わらずにずっと使っているものの筆頭は自転車です。

 

オレンジ色をした普通のママチャリなんですが。

かれこれ15年以上乗っています。

現役。

 

とはいっても。

本体以外は何度も修理交換を繰り返し、

露出している部分はクレ5-56を以てしても錆が取れず、

酸化し茶色に朽ちてしまっているマイバイセコー。

 

修理し過ぎて。

もはや元のパーツはボディのみです。

 

少し脱線しますが。

有名なパラドックスのひとつであるテセウスの船を御存じでしょうか。

 

ギリシャ神話の一節。

クレタ島ミノタウロスという怪物がおりまして。

ある勇敢なアテネの男テセウスが声を挙げ、船に乗っては遥々遠征。

なんやかんやで見事に討伐しました。

めでたし。

 

そんなヒーローであるテセウスさんが乗っていた船を、記念に保存しておこう!ということになったそう。

 

しかし、経年劣化で船は次第にボロボロになっていくので、

傷んだところは修復され、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていきました。

 

時代を重ねるごとに修繕を繰り返し、遂に全ての木材が新しいものに交換されたときに、

ある哲学者がひとつの疑問を投げかけまして。

 

「これ、テセウスの船って呼べるん?」

 

これには論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となり、更には。

 

「古い木材集めて作り直したら、そっちの方が本物のテセウスの船なんじゃね?」

 

てな感じに。

直した船と朽ちた木材で作り直した船は、どちらがテセウスの船なんだい?

と哲学的混乱を招いた、といった逆説的思考実験ばなしです。

 

これは現実世界でもたびたび起こり得ることで、

メンバーが全員入れ替わったモーニング娘。もそうですし。

つぎ足され続けている秘伝のタレもそうですよね。

 

オリジナルと完コピとの関係、みたいな。

 

ちょっと怖い話をすると。

我々人類も含めた多細胞生物においては、新陳代謝によって常に細胞が入れ替わっており。

たとえばヒトの成人では、細胞の平均寿命は10年以下とされていて、

文字通り「10年前の自分と今の自分は、細胞上は全く新しい存在」なわけでして。

生物の脳細胞を同じ働きをするナノマシンに置き換えたらどうなるか、なんて研究も盛んだったりするそう。

 

自分って、なんだ……(; ・`д・´)

 

深入りすると一瞬で諸々がゲシュタルト崩壊しそうなので閑話休題

 

長々と話しましたが、とどのつまり。

私にとってのテセウスの船が、自転車でございます。

 

サドル部分は錆び過ぎてしまい、

修理屋さんでも抜けず、店主の方に

「次に抜けるときは折れるときだよ」

と言われる始末。

 

最近は都市部以外でもレンタルサイクルが幅広くカバーされている令和の世に、

ギアによる変速もできずエアロバイクよりも重い漕ぎ出しの自転車。

 

でも。

愛着が湧いていて、なかなか新しいものに出来ないんですよね。

 

ちなみに。

流石、天下のアリストテレス

先程のパラドックスについては

全ての事物の在り方は質量因・形相因・動力因・目的因*1の四原因で説明できる。

と、1つのこたえを提示しています。

 

要は

「何を重要視するかじゃね?(`・ω・´)シャキーン」

ということで。

 

殊に私に自転車に当てはめるならば、

わがチャリのアイデンティティは「オレンジボディな古い自転車」なので、

そこの存在意義というかレゾンデートルというか。

 

愛を忘れないように乗りましょう!

ということですよね、アリストテレス先生!(‘ω’)ノ

無理矢理。

ビリヤニ

 

思考過程だけが修繕不可能で難破しかけている記事になってしまいましたが。

ひとまずこれにて、一件落着としましょう。

ハイケイデンス

 

*1:何でできているのか、どんな形か、誰がどのように作ったか、何のために作ったか