帰って来い、曜日感覚。
いやはや。
この週末を「予備校比較」などという大それた自己満足に費やしてしまったせいで、精神的疲労の取れないまま月曜日を迎えてしまった、ひゃくとんです。
まあ。
国浪フリーターに、月曜日も日曜日も変わりはないと言われれば何も言い返せないのですが。
ぬはー。
曜日といえば。
カレンダーの日付の下なんかに、たまに「大安」とか「仏滅」とか書いてありますよね。
あれは「六曜(ろくよう・りくよう)」というらしく、中国起源で鎌倉時代に伝わってきたものらしいです。
Wikiの記事が短く面白かったのでリンク貼っておきます。
結婚式を「大安吉日」に行うカップルも多いですよね。
ひゃくとん自身、占いや迷信の類は懐疑であるのですが。
どうしてもこの六曜ってやつは結構気になって生活してしまいます。
昔からカレンダーに記載があったからでしょうか。
伝統的習慣って怖いですね。
むふう。
そいでそいで。
明日は「仏滅」なので、あまり大きなことは決めないほうがいいのかと思いきや、
また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「大安」よりも物事を始めるには良い日との解釈もある。
とのことです@Wiki
ようは、考え方次第ってことでしょうか(´・ω・`)
考え方って、なかなか変化をつけるの難しいですよね。
だけれども。
ーー物事の見方ひとつで、世界は何通りもの解釈ができるーー
そう私に教えてくれたのは、小学校の先生でしたなぁ。
あれは6年生だったでしょうか。
自分の「物差し」しかもたず、頑として自分の意見を曲げない子供だった私に、
先生は職員室でコーヒー片手にトイレットペーパーの芯を見せこう言ったのです。
「いいかいひゃくとん。この紙は穴の開いてるほうから見ると、まあるい『円』に見えるでしょう?でも、こうして横から見ると四角い『長方形』に見える。どっちなのかな、と思って手に取ると、実は『円柱』っていう筒型をしているんだ。」
「世の中って言うのは、自分で決めた一方向からみると、その形にしか見えなくなってしまう。だからこそ、ひゃくとんには物事をいろいろな方向から見られる人になって欲しいな。」
当時のひゃくとんには
何でトイレットペーパーの芯なんだろう
とヒネた感想しか出てこなかったのですが、数十年経っても良く覚えている言葉なので、やはりインパクトがあったのでしょうね。
人の思想は、特に成人してしまうとなかなか変わることが難しい。
誰もがそう感じているからこそ、人は「変わりたい」と強く願うのでしょうか。
先生もまたアドラーのように、コーヒーの湖面から浮かぶ私のような教え子の顔達に、伝統と向き合う勇気を冀望してくれていたのでしょうか。
そうこうと、物思いに耽っているうちに。
弥生最後の月曜日が失われていきました(汗)
残りの“六曜”はじっくりと過ごして生きたいものです。
ろっくおん!
クリックしてちょー