逆らうように 流されるがままに
どもども、ひゃくとんです。
冒頭から自分語りが始まりますが。
いや、ブログの時点ですべてが自分語りに決まっているんですけれども。
自分ね。
水を飲まないんですよ(´・ω・`)
いやね。
人間なので、水は飲むんですが。
1日の飲む量が健康基準から著しく低く。
270mlの小さいペットボトルでも余裕で日中あまらせます。
NOT水分補給。
それでも。
喉が渇くときはべらぼうに乾いて、
一瞬で500mlくらい飲み干すんですけれども。
糖尿病予備軍なのか、尿管結石予備軍なのか。
自分語りするわりには、自分のことって案外わかっていなかったりしますね。
とはいいながらも。
自販機で飲み物を買うという行為は好きで。
つめたいもあったか~いも、
電車にはさまれた地下鉄の中心だったり、
都心の昆虫クラブのように住宅街にポツンとそびえたつものだったり。
飲み込まれる硬貨と引き換えに、
ガランと静かに音を立てて出てくる飲み物は、
コンビニでは買えない味わいを提供してくれます。
そういえば。
かつてはお金を払って選ぶなんて信じられなかった水を、
清涼飲料を押しのけてボタンを押すようになったのはいつからだろう。
真夜中に飲む東京の水は、
深夜の心には少しぬるすぎて。
機械でろ過されていると分かりながらも。
パッケージに映る綺麗な森林水を求めてしまっている気がします。
年を負うごとに。
濃厚なものへの需要度が減っていって。
単純な老いであるとともに、不純なものを受け付けるほどの、
精神的な肉体的な成熟もあるのかもしれませんが。
シンプルなものを求めるようになることは、
大人になるってことなのか、死に近づいているってことなのか。
味のある人生を歩みたいと願いながらも、
かつて「味なんてない」と思っていた水ばかり求めて、
さして違いのない透明な液体に、硬いだの柔らかいだの、
舌触りが違うだの言い訳を付けて。
そうだきっと。
これが心の乾きなのかもしれない、と。
変化のない日常で淀んでしまい、
高まってしまった濃度を薄めるように、
溶媒としてクリアなものを選んでしまっているのでしょうか。
だとすれば。
飲むべきものは水でもなんでもなく。
あの頃から純粋に好んで飲んでいたもののほうが潤してくれるのではないか。
そうは思うけれども。
齢事で胃もたれしてしまいながら生きている私には、
もうしばらくミネラルウォーターが心地よいのかもしれません。
アクアウイタエ。