国浪とんコツ日記。

真面目に不真面目なお医者、ひゃくとんによるコツコツ便り。

虫になりたい人生だった。

ぞこぞこ

 

どもども、ひゃくとんです。

 

春が近づくと。

少しづつ虫たちの行動も活発になり。

hyakuton100t.hatenablog.com

 

さざめきとともに、

ぼちぼちスプレーも準備しなくてはと身構える私です。

ガード。

 

そういえばちょうど。

最近ラジオを聴いていたら、昆虫博士なる人がいろいろと語っていて。

「虫」ってなかなか定義が決まっておらず、

体が3つの節に分かれた6本脚の生き物=昆虫というのにも例外がいて、

飛ぼうが飛ぶまいが、ミミズだろうがトカゲだろうが「蟲」なんですって。

ほうほう。

 

我々が無数に感じている虫たちも、

脊椎がなく軟体でもない、といったザックバランで曖昧な分け方で。

世の中、白黒つけられるものばかりじゃないんだなと。

 

白黒で言うと。

小学校のときに好きだったワードに「変態」がありまして。

初めて覚えたのは破廉恥なワイドショーではなく昆虫図鑑でして。

虫は成長とともに変態するんだ、というもの。

 

このフォルムチェンジには完全と不完全があり。

要するに、幼虫から成虫の過程での身体の変化のお話なんですけれども。

※マイナビー中学受験ナビから拝借

 

完全変態と不完全変態の定義はとてもシンプルで、

幼虫から成虫になる過程で蛹になるかどうかという差だそう。

蛹(さなぎ)とは成虫になる前の形態でほとんど動くことができず、

エサも取れない。もちろん外敵からの防御力はゼロ状態。

 

さらには。

完全変態の昆虫の見た目の特徴は、幼虫と成虫で姿がガラリと変化すること。

チョウなんかは良い例で、幼虫のときはイモムシで蛹になったあと、

成虫のきれいな蝶々になりますもんね。

このガラッと変化、さながらシンデレラみたいで素敵ですよね。

はらぺこアオムシ。

 

一方で。

不完全変態の昆虫は、幼虫も成虫も見た目が似ています。

イメージしやすいのは、バッタやコオロギ。

幼虫と成虫で、羽などの大きさの違いはあれど、見た目はほぼ一緒。

ただ不完全変態の昆虫にも、セミやトンボのように、

幼虫から成虫になるときに見た目が変わる例外はいるようです。

 

なんて調べているうちに。

やっぱり私もどこかで、完全変態になる願望があるんだなと。

 

変身ヒーローが如く。

成長していく中でパラダイムシフトが起こり。

今の自分とは違う完全体になることを夢見ている節がある。

 

が、無論。

人間は当然のように不完全変態。

見た目も心も、劇的に変わることはありません。

 

いや。

完全だろうが不完全だろうが。

虫たちの心も、その過程でそこまで変わってやしないのではないか。

 

子孫繁栄という大義のもとに魂を燃やし、

その儚い虫生を全うしようとする心意気。

生きることへのパッションが欠けているだけなのではないか。

 

そうかひゃくとんは。

心の変態を望んでいたのかもしれません。

 

文字面だけだとかなり怪しいですが。

いつか精神が羽ばたけるその時まで。

蛹のような心で頑張っています。

もぐもぐ!

死にたいくらい辛いと言われたとき。

雲の上は晴れているよ

 

どもども、ひゃくとんです。

 

今日は少しだけ真面目で、でも避けては通れないお話をば。

 

皆さんは友人や大切な人から突然、

「死にたいくらい辛い」と打ち明けられたとき、どうしますか?

 

仕事。

生活。

人間関係。

悩みは尽きない世の中で、どうしても今の人生を続けていくことが辛い。

 

実際ひゃくとんも。

同じ悩みを相談したことも、相談されたこともあります。

医学部受験や国試浪人という出口の見えない暗闇を彷徨った経験のある私にとっても、

非常に重く、それでいて身近なテーマだなと。

 

そのとき相手には。

死にたいくらい辛いことを自分に相談してくれたこと、

それに値するくらい信用してくれたこと、

勇気を出して伝えてくれたことについてまずは、ありがとう、と。

感謝の気持ちを伝えるようにしています(´・ω・`)

 

絶望の淵にいるとき、人は言葉を失います。

そんな中でわたしを選んで声を絞り出してくれた。

その事実を、まずは温かく受けたいな、と。

 

かつてマリリン・マンソンは、

自殺願望を持ってる人にどう接するか?という質問に、

何もしない。ただ黙って話を聞く。なぜなら、今まで誰もそうしなかっただろうから。

と答えたそうです。

まずは、ジャッジせずに聞く。それだけで救われる夜がありますからね。

 

と同時に。

そんな相談をしてくれた相手にとって、私だけでは生きる理由にならない、

その(自分への)不甲斐なさに非常に悲しくなったことも伝えております。

 

本来ならその場で、

「あなたが本当に命を絶ったら私がどれくらい傷つくか考えたことある?」

「考えてなかったなら今考えて。私の今の気持ちを考えて」

なんていって泣き喚きたくて一杯なわけです。

 

そこであえて、相手の思考を己の殻から強引に剥がして、

仮に相手が「迷惑かけてゴメン」と泣き出しても、

「私が『迷惑だ』と思ってるって思った? そんなの全然今の私の気持ちじゃない」

と、逃がさず、あなたがいない世界は私にとって困るんだ、という、

ただただ生きていてほしいという、強烈なメッセージでぶん殴りたい気持ちを抑えて、

とにかく悲しいということだけは言わせてほしいと。

とはいえ、私たちは神様ではありません。

その後は精神科を紹介したり、現実的な打開策を一緒に探したり。

「背負いすぎない」という責任の話をすることが多い気がします。

 

でも本当は。

難しいアドバイスなんて、いらないのかもしれない。

焼肉奢って、一緒にお風呂入って寝て、明日は映画の約束して。

気の利いた言葉が見つからなければ、ただ一言、

「明日もその愚痴、聞かせてよ」 って言うだけでも救われるかもしれません。

まあ、ネットの引用ですが(苦笑)

 

ちなみに。

私が死にたかった時は最終的に、

「ん?今死んだら、銀行とか家とか公共料金の解約して、身の回りの整理して、いるものいらないもの整理して、残された両親が大変にならないようにどこになにがあるか書き出したり書類なんかも用意して、生命保険とかも見直して、パソコンとスマホ整理しなくちゃいけないのか……」

と現実的な面倒くささが上回って、毎回踏みとどまっています(^_^;)

 

そんな「明日」の積み重ねが、

いつか「生きててよかった」に繋がることを、

まいにち診察室から願っています。

ポレポレ!

財布を新調した話。

一粒万倍日

 

どもども、ひゃくとんです。

 

タイトルの通りなんですけれども。

新しい財布を購入しました!(`・ω・´)ゞ

ぱちぱち。

 

今まで使っていた財布は実はかなりの愛用品で。

なんだかんだ10年は使っていたビンテージもの。

 

当然のことながら外側はボロボロ。

内側の小銭入れスペースに至っては、

あと皮一枚で全コインが落ちる寸前まで来ておりました苦笑

 

大事な人から貰った大事なものということもあり、

肌身離さず持ち歩いていたんですが。

 

ひゃくとん。

おしりのポケットに財布インしたい派なんですよ(´・ω・`)

 

どうしても物理的な安心感が欲しいと言うか。

肌の感じですぐにあることがわかるのも、すぐに取り出せるのも良いと言うか。

 

てなわけで当然の如く、

デザインは長財布に限定されてしまうわけで。

立ったり座ったりでダメージを負う頻度が多く、

どんどんクタクタになっていったのです。。。

 

そんなこんなでここ数年は、

ずーっと財布欲しい、財布欲しいと喚いていたんですけれども。

中でもずーっとほしいブランドのものがあり。

それも長財布なんですけれど一目惚れで、

でもそこそこに良いお値段でしたので決心がつかず、

通り過ぎるたびに触ってみたりしていたんですが。

 

遂に我が財布。

最終防衛ラインであるコインケース部分が破損してしまい。

いよいよ引退か、と購入を決意したわけです。

 

買うときにも店員さんに、

前の財布を長く使っていることを褒められつつも、

とっても良い財布だからすごく大事に使ってほしい、

なるべくならポケットに入れずに持ち運ぶなりカバンに入れるなりして、

15年は使い込んでほしい、と言われました。

 

ということで最近は。

頑張ってなるべくおしりポケットには入れずに、

曲がったりしないように持ち歩いているんですけれども。

 

最初のうちはかなり殿部の喪失感が強く。

何をするにもカバンの中をチェックしていたんですけれども。

 

逆説的に、

常に財布を気にかけてお出かけできており、

セキュリティ面は以前よりもあがったような気がします笑

 

心理的な持ち運びの心配性のおかげで、

結果として大切に使えているのもかもしれませぬ。

 

めちゃんこ大事につかっていくぞ。

チャリンチャリン!