
類は友を呼ぶのだろうか
どもども、ひゃくとんです。
最近職場で。
「大人になってから本当の友達を作るの難しいよね(^_^;)」
なんて話になりまして。
育ってきた環境もそうですし、
社会人になってからだとなかなか深い話もできないので、
学生時代の友情とは違ったスタートになるよね、と。
セロリ。
まあ。
有名ミュージシャンが言っていたように、
学校なんてたまたま同じ電車(地域)に乗り合わせただけの偶然性ですし、
何をもって「友達」とするかもそうですし、
男女の友情問題とも深いのでなんとも言えないのですが。
そもそも。
友、ってなんでしょうね?
聞いた話によると。
殊に成人してからにおいてに限り、ひとと長く関わる方法は、
「結婚・出産」「複数子育て・親族協力」そして「土着」しかないとのことで。
コミュニケーション能力の問題とかではなく態度の問題なんだとか。
現代社会において私たちは今、正直どこでも生きていけます。
都会だろうが地方だろうが海外だろうが。
それはつまり、どこでもいい、だれでもいいってことになってしまうんですよね。
私自身が「だれでもいい」から、
関わるひとだって「だれでもいい」。
ひゃくとんが「べつにあなたじゃなくてもいい」から、
みんな「べつにあなたじゃなくていい」となってしまう。
例えば結婚してこどもを産むと、
パートナーは「愛するこどもの唯一の親」になる。
複数人こどもがいたら、夫婦の力だけではどうにもならないので、
両親は頼り甲斐のある、ベテランおばあちゃんになる。
こどもとおばあちゃんの関係もできていく。これでもう、だれでもよくない。
「長期的な友達関係が築けない」っていう悩みの根幹は、
結論はすごくシンプルで「あなたが自由だから」っていうことに帰結してしまう。
自分の家族がいない、子どももいない。
そうなると何をするにも自由だし、どこに住むのも自由。
どんな職場に転職しても自由。
だけど、その自由さは裏を返すと、
どこにも根ざしていない、“土着していない”ってことになるんだと。
結婚したり、家を買ったり、子どもができたりすると
この場所にいようかなとか、
転校させたくないなとか、
育休もらってるしもうちょっとこの会社にいなきゃなとか、
いろんな制約が自然と生まれてくる。
それが、逆に人との関係をつなげる要素になって来るんですけれど。
周りはそうやってどんどん“土着”していく中で、もしも自分だけが、
恋人もいない、子どももいない、自分のためにお金も時間も使える、
どこでも生きていける自由な状態にあると、
自然と周囲の人との接点がなくなっていくわけです。
つまり。
「あなたはその人にとって、特別な友達にはなれない」ってこと。
これって、ちょっときつい言葉に聞こえるかもしれないけれど、
私はすごく納得してしまいまして。
例えば、
お隣さんでもないし、職場も一緒じゃないし、
親同士のつながりもない、子どももいないってなると、
その人からしたら「別にいなくても何も困らない存在」になってしまう。
反対に。
小さい頃からの友人、学校とか大学の時というのは、
毎日顔合わせるし、会いたくなくても会うし、関係が悪くなったら困るので、
ちゃんと友達を大切にしようって思い生活し関係性を築いてきたわけで。
でも大人になると、
「この人と会うことで、自分にとって何かあるかな」って無意識に考えてしまう。
それは別に得とか損とかの話じゃなくて、
「安心できる」とか「話しててホッとする」とか、
そういう感情面でのメリットが先に浮かんでしまっているかもしれなくて。
でも、そういうのがなかったら、
自然と会わなくなっていくし、疎遠になっていく。
そして、その疎遠になっていくスピードが速い人って、
多分その人自身がどこにも“土着していない”からなんだろうなって思うんです。
私自身の話で言うと。
30歳を過ぎてからは転職などもあり、
医局のように毎日顔を合わせるわけではない同僚も多くなり。
だから、その時期に仲良くしてた人たちって、
同じようにどこにも属してない人が多くて。
気づいたら、今はもう何にもつながってない。
で、結局今ちょこちょこ会っているのは結局、
若い頃に濃い時間を過ごした友達たちなんですよ(´・ω・`)
「結局ここに戻るんだな」って思いながら、
じゃあなんで大人になってから長期的な関係を築けないんだろう?って考えたら、
「あ、私が土着してないからか」って、スッと腑に落ちたんですよ。
「その人にとって、あなたは“どうでもいい友達”になってる」っていう言葉。
お隣でもない、同僚でもない。
家族ぐるみの付き合いでもない、子ども同士が同じ学校でもない。
そうなったら、いなくなっても困らない、
つまり“特別な存在ではない”と思われてしまう。
それって、もう無意識のうちに、そう思われてるってことなんですよね。
私自身は。
とにかく自分の気持ちを優先して、自分がやりたいことだけやって、
やりたくないことはできるだけやらずに生きてきてしました。
それができるように、自分の時間も環境も整えてきたつもりだったし、
実際そういう生き方を「すごいね」と言ってくれる人もいたし、
「私にはできない」って言ってくれる人もいた。
でも。
みんなが家庭を持ったり、結婚したり、子どもができたりしていく中で、
そういう生き方はどんどん遠くなっていくし、
「医局を辞めて、地元を出て、転々と過ごします」
なんてことは、もう誰にもできない。
そうなると、なんとなく話も合わなくなるし、
会っても「すごいね」で終わってしまうし、
同じようにまったく違う生き方をしてる相手と話すと、
「自分はそうなりたいわけじゃないしな…」ってどこかで思ってしまう。
そんな相手とわざわざ会って話す理由ってなんだろう?って、
自然と距離ができてしまうのかもしれないなって感じてしまうんですよ。
それでも。
出会う時期だけで仲良くなれないと決め込んでしまうのも淋しく。
なにかそうした「心の土着」を必死に探して、
精一杯共通点を探して触れ合う機会を増やしていく。
その積み重ねの中でしか友情は生まれないのかなあと。
だいぶ熱くなってしまいましたが。
できれば色んな人と友だちになりたい。
その思いは忘れずに生きていきたいものです。
ゆあまいふれんど!