
打って良いのは
どもども、ひゃくとんです。
みなさん。
言いたいことはハッキリと伝えた方が良いですよ(# ゚Д゚)
陰口もコソコソ話も楽しいですがね。
まぁ、社会人なので。
会社がうまく回るように本音のところは上手く濁して、
率なく波風が立たぬように振舞う人が殆どでしょうが。
私はですよ。
患者さんを、ひいては病院を良くするためならば、
言いづらいこともしっかりと伝えた方が良いと思うんです。
もちろん。
内容によっては言い合いになることも避けられません。
自分の正義を貫くことで、答えの出ない命題に対して、
なかなか結論が出ないかもしれません。
時にわたしも頑固者なので。
「ひゃくとんに伝えてもすぐに言い訳される」
なんてことを言われていたりいなかったり。
言いなりイエスマンが希望で、
自分の思い通りにならないと不機嫌になるひともいるかもです。
もっとも。
しっかし。
うわべだけの関係性の中に未来はありませぬ。
かつてレイモンド・チャンドラーは小説内でこう語りました。
撃って良いのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ。
ーフィリップ・マーロウ『大いなる祈り』
ルルーシュから聞いた人も、おやっさんから聞いた人もいるでしょう。
そうです。
ひゃくとんは心の撃ち合いをしたいんですよ。
SNSのせいでお前らは、
他人をバカにしても顔面を殴られない環境に慣れ過ぎているのか?
言論過激派なので。
本音で伝い合えるならば、蜂の巣になってもいい。
そもそも論ですが。
どちらが良いとか悪いとか。
すぐに優劣をつけるからトラブルになるんです。
教養や経験をもとに「それぞれ良いところがある」という前提で、
そのグレー部分のなかで如何にグラデーションをつけて決定するか、
が大事なんですよ。
なにかを決定しなくてはいけない時というのは、
その時々や好みの問題で、選ばなかった方が劣っているなんてことはないんです。
適当にやって良いところとやらなければいけないところの区別さえついていれば、
あとはみんなで同じ方向を向いていれば帳尻は合うものです。
まあね。
社会はひとりで回っている訳ではありませんので。
本音でぶつかり合うことだけが正しいとも思っていませぬが。
本人の前で言えないことは。
言葉として世の中に発信しない方が良い。
自戒を込めて。
久々の愚痴ブログでした。
激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム!
*1:議論の内容に関することは無視して、話し手の口調や言葉遣いに関して批判すること