国浪とんコツ日記。

真面目に不真面目なお医者、ひゃくとんによるコツコツ便り。

ふつう、という物差し。

ジオメトリ, ユークリッド, キャットセット, 斜辺, トライアングル, 直角に

心絵

 

どもども、ひゃくとんです。

 

急に春らしい気候になってしまって。

つい先日まで絹をも掴む思いで夜な夜な蚕が如く包まっていたのに。

働き過ぎた布団が突然に有休消化状態。

ふっとんだ。

みかーん。

 

寒いと言えば。

みかんがみっかんないなどと宣っている割には、

昨今のエアコン技術や室内空調に絶大なる信頼を置いているため、

年中半袖で過ごすことが多く。

移動中のアウターこそ変われど、室内ではほぼシャツ1枚で過ごしております。

 

以前、関東で積雪があった日もいつも通り半袖通勤したら同僚に、

「先生、ふつうじゃないですね」

などとお褒めの言葉を貰ったことが記憶に新しいです。

ハッピーニューイヤー。

 

しかし、言われてみれば。

自分自身でも「普通じゃない」と感じる言動は多々あり。

家電は説明書を読んでからじゃないと箱を開けないし、

定食もまずは白米をひと口。

回転寿司ではまず玉子からというマイルールも確かにある。

 

でも。

普通ってなんだろう。

 

職業柄、千姿万態な人々と交わることが多く、

その種々雑多なバックヤードに自分の人生を重ねて透けてみたりし、

物思いに耽ることも屡々。

 

いい大学に行くべき。

正社員になって長く勤めるべき。

結婚して子供を産むべき。

この「べき」は誰が決めているのだろうか。

 

人生、いろいろ。

ならば。

価値観も、いろいろ。

 

単調でモノクロに映る日常も、近づいてみればそれは、

パレットが折り重なって見えただけで、

その実は個々のカラフルな世界を俯瞰していたものに過ぎなかったり。

 

シンプルという概念に囚われ、

多様性を擁護しすぎるあまり不自由になりつつある現代社会を毛嫌い。

ミニマリズムに傾倒しすぎた結果、

皮肉にも不協和という複雑な生活を送ることになったり。

 

そうは言いつつも。

なかなか自分の人生以外を基準に物事を推し量れないのも人間の性で。

やれ想像力だ、多様性だと謳われても。

 

感情や個性という不確定で不定着な揺らぎがある以上、

基準だったり。

定義だったり。

 

自分の中で一定の物差しがないと、

人生の軸がブレてはいまいかと不安が募ることも多いです。

 

たとえば。

実業などで成功した人の、

昔は貧乏だった、劣等生だった、悲惨な家庭だった、不良だった。

みたいな自慢も実際は。

貧乏*1、劣等生*2、悲惨な家庭*3、不良*4

と。だいたい盛られてますからね(´_ゝ`)

 

置かれている環境によっても違いますもの。

同じように「人生、生きてるだけで素晴らしい。」系の人は、

生まれが良かったのに、たまたまなにかやろうと大失敗して、

どん底を味わってから復活して元の上級階級に戻っただけの人って印象があります。

 

生まれた時からずっと中流以下で過ごした人は、

そういう言葉を言わないし、言えない。

 

もっというならば。

「辛い経験をしたことがある人間ほど人に優しくなれる」

なんて言われる事があっても、

実は嫌な経験や理不尽な経験をした人間ほど人にもそれを強いるような感じはあり。

 

「苦労をしたのだから良い人生でなくてはならない」

という信念は容易に、

「苦労をしていないヤツラに良い人生を送らせてはいけない」に転化され、

「ヤツラが良い人生を送ってるならオレが悪い人生に変えてやる」

までいきかねません。

 

しっかし。

「もっとしんどい人もいる」

という理由でしんどさが正当化されるなら。

「もっと楽してる人もいる」

という理由で快適さを求めてもいいのではないでしょうか。

 

そういうのって、結局は。

「自分の物差し」で測っているからいけないんですよね。

 

物事を、自分だけで線引してしまうことはよくあることです。

故に、一心不乱に視野の狭い中で測って、決めにかかってしまうこともまた多い。

 

大きさなんて、人によって全然違うにも関わらず。

自分が「これだ」と思ったら、なかなか他の測り方を参考にしない。

よく言われる「トイレットペーパーの芯」理論ですね。

 

成功率10%くらいしかない事に挑戦しようとしたときに、

1回成功する方法じゃなくて、9回失敗する方法を考える。

みたいなアプローチの変換といいますか。

 

見る方向によって丸にも四角にも見える、というように。

二律背反で分類できるほど、世の中はそんなに単純じゃないですもんね。

Habit。

 

無論。

自分のメーターが絶対的なのは当たり前です。

印をつけたのも、測ったのも、自分ひとりなんですから。

 

ですが、そういった独断で如何に不慮の事態を招いてきたか、

本当にその物差しは間違っていないのか。

定期的にメンテナンスすることも大切なのかな、と。

 

絶対なんて、絶対ありえないという、言葉遊びをしたくもなるくらいに。

 

人の数だけ目盛りの違う物差しがあって、ひとりで何本でも持っていていいのに。

頑なにお気に入りの一本を離そうとしない。

その一縷でさえも、正しく取り扱えていない事実が分かっていないんです。

 

それ故に、平気で目測を誤るんですよね。

「去年じゃなきゃ出来なかった」ものなんて、そうはないのに。

「こんな自分じゃだめだ」ばかりではないというのに。

達成のタイミングまで自分勝手に推し量って、

大願成就を自ら逃さないようにしたいですね。

 

自分自身を振り返っても。

そもそも、自分のことがきらい、って実は構造的におかしい。

 

仮に世界に自分しかいなかったら、

自分を測る物差しがないから、そもそも好きとか嫌いとか、考えることができない。

つまり、自分がきらい、というのは、

自分で考えてるんではなくて、そう考えさせられているだけ。

そう、いま思い浮かんだ、その人に。

 

その瞬間瞬間で。

いったい何が自分の評価尺度になっているのか。

測定している自分自身の問題なのか。

測量機、或いは測定対象はそれぞれ適しているのか。

 

新しい年度が始まるからこそ。

もう一度、何を柔軟にして何はブレてはいけないのか。

考見つめ直していきたいと思います。

あぶあぶ!

*1:実家は松濤だけど好きなものが好きなだけ買って貰えるわけではなかった

*2:毎年東大に30人以上合格する進学校で下位1/3

*3:優秀な父親が遅くまで仕事していて晩御飯にはおらず海外旅行も年に1回程度

*4:ちょっと夜更かししたり咥えタバコしたり