
愛をください
どもども、ひゃくとんです。
3月も終わりを迎えると一気に2025年に慣れ始め。
間違えていた令和表記もしっかりと7年と認識するようになり。
温かい気候と共に新しい年に心も身体も馴染んできておりまする。
そうこうしているうちに年度も切り替え。
節目というものは分かりやすく。
賑やかな包装紙が次の日には燃えるゴミとなるように。
ある時を過ぎてしまうと切り替わってしまうものも多く。
この年度末をもって、
ものすごくお世話になっていたスタッフさんが退職となり。
ご家庭の事情なので仕方無さはあれど。
さみしいものはさみしいですな。
しょんぼり。
厚生労働省によると。
医療・福祉業界全体の離職率は、
令和3年時点でも13.5%らしく。
他業種と比較して特別高いわけでもなく平均的ではあるっぽいのですが。
1年で10人に1人以上は入れ替わるとなると、
新陳代謝のはやさに心が追いついていきませぬ。
以前の職場はかなり少人数でしたので人の出入りもほとんどなく。
失うって感覚がないまま働いていたんですよね(´・ω・`)
いっそのこと。
独りのほうが楽なんじゃないかって感じる日もありますが。
世界は放っておいてくれない。
誰かしら、何かしらに支えられて生活してる中で、
誰かがいてくれるから寂しさも感じるわけで。
同僚の先生に聞いてみると
「まあ、人は辞めるときは辞めるから」
と遠くをみながら呟いていて。
退職のたびに辛くなっていたら身が持たないということなのでしょうが、
当のひゃくとんはというと、そこまで達観するにはまだまだ精神的に未熟。
変化を恐れている現れなのでしょうか。
学生時代は。
父が転勤族だったために自分自身が「離れる」側だったので、
新天地への関心ばかり強く、残されて過ごす方たちのことを、
あまり慮っていられなかったのかなあと今更ながらに反省。
しかし。
永遠なんて永遠にないように。
ずっと同じなんて夢なことも承知している。
虚無虚無ぷりん。
話は少し変わり。
忘年会や送別会などで「太っ腹だね」といわれることの多かった私。
それは綺麗に3つに割れた醜い贅肉への揶揄なのかもしれないし、
大らかで寛大であるさまを形容してくれているのかもしれませんが。
昔からの手癖で、飲み会の場や会食では少し多めに出してしまうところがあります。
お金持ちでも、良い人ぶりたいわけでも無く。
楽しい会を盛り上げてくれつつ、
こんなじぶんと一緒に過ごしてくれたせめてもの感謝の気持ちでして。
支払い以外にそれを表現する術を持たず、
気が付いたら拝金主義になってしまっている自覚あり(´_ゝ`)
takerよりもgiverのほうが過ごしやすいんですよね。
けれども。
鷹揚自若に構えているのにも限界があり。
逃した魚は大きかったといわれたいという反骨はあれど、
手放されたすべての人には稚魚にしか見えていない可能性もあり。
お金でも払わないと。
みんな一緒に居てくれないんじゃないか。
なんて感情から逃れ切れず。
もっとも。
誰かを幸せにする、なんて烏滸がましく。
人はそれぞれ、自然と幸せになっていくので。
そんなこと考えるほうが時間の無駄だとわかりつつも。
変わりゆく世間についていけない自分にまた嫌気がさして。
与えてもいない愛を求め続ける日々。
そう。
これは、花粉症だ。
何とも言えないこの気怠い感じは。
なんて。
全てをスギのせいにして。
まとまりのない感情に蓋をしたいと思います。
へっくしょい。