見えないものを 見ようとして
どもども、ひゃくとんです。
自画自賛は見苦しいと分かりつつも。
この記事を読んでくれた知人から、
「ひゃくとん、天才じゃね?」
とお褒めの言葉を頂いたのでうれしくて再掲。
意外と天才って。
身近なところにいるんですね(´_ゝ`)
うぬぼれはこの辺にしておいて。
私もここまで年を重ねると、天地がひっくり返っても敵わない、
紛うことなき天才たちと人生が交差する機会があります。
同時に。
一般的な常識や通説に馴染むことに時間がかかり、
それはそれは生きづらそうにしていたのも観測していて。
頭が良すぎるのも大変なのだな、と。
たとえば高校時代のクラスメート。
彼は数学の才があり、大学への数学への毎月上位入賞はもちろん、
ジュニア数学オリンピックの最終代表選考合宿まで行ったことのあるインテリ。
が。
人間関係には難あり。
若気の至りなのか殊に数学教師とはソリが悪く。
授業はそれはそれは不真面目に受けておりました。
当学校が数学のクラスが学内試験で決定するんですが、
一番下のクラスはゆるゆるで内職もスマホもやりたい放題、
一番上のクラスは課題も講義中の演習も多く。
「時間の無駄だから行きたくない」というそれだけの理由で、
数学は第問3のみを解いて赤点ギリギリ、という、
尖った試験答案を作っては先生たちに毎回怒られておりました。
強い(;^ω^)
たとえば大学の先輩。
自分が書いた実験のレポートがコピペだということがバレて、
コピペ元の生徒と先輩との2人だけが本試験不合格になりそうになったとき。
「ほかにも書き写しているやつはいる!」と逆ギレ。
教授から同級生の全レポートを閲覧させてもらい、
剽窃行為の相関図を作っては学年の20%を再試験に連れ込むという、
正義なのか悪なのか分からないパッションを見せつけてました。
強い('ω')
まったく天才というのは、
ベクトルの向きを誤ると如何に狂暴に作用することか。
深い闇に飲まれないように精いっぱいだったのでしょう。
そんな、世界のための自分じゃないことに気が付いている才能人たちに幸あれ。
おいえーあはーん。