国浪とんコツ日記。

真面目に不真面目なお医者、ひゃくとんによるコツコツ便り。

人生に「つらい経験」は必要なのか。

大丈夫だよ キリンリキ

 

どもども、ひゃくとんです。

 

先日、今年最後のヘアカットに行った際。

お世話になっている店長さんに、

「普段、ネックレスとか小物使わないんスか?」

と聞かれ、咄嗟に

「私自身が小物みたいなところありますからね(;^ω^)」

と返事をしまった後に訪れた静寂、今冬一番の静寂でした。

サイレントナイト。

サーナイト

 

冗談はさておき。

以前、ブログ内で、

「幸せになるには“悪いこと”も勘定にいれなくては」みたいな内容に触れまして。

hyakuton100t.hatenablog.com

 

要は、

幸せの感情は落差に起因するので、つらい経験をすると、

平時の幸福感の基準が底上げされることもある、みたいな内容だったんですけれど。

 

少し時間が経って。

「本当か?」

と疑問が湧いたのでもう少し深堀をば。

 

いやぁ、やっぱり。

出来る限り、辛い思いはしたくないじゃないですか。

 

考えるまでもなく。

悪いことや辛いことが人生の糧となるのは結果論であって、

ストレスの受皿から溢れるほどの苦痛は要らないのではないか、と。

 

よく。

「辛い経験をしたことがある人間ほど、人に優しくなれる」

と言われる事があります。

 

この国では。

つらいことに耐えながら頑張っている人を

過剰に称賛する傾向が強いなあと感じて生きております。

 

「ここで耐えれば根性がつく」

「誰よりも長く働く人が称賛される」

 

大嘘です(´_ゝ`)(暴言)

 

言わずもがな。

どんな状況でも努力できる人は尊敬してますし、

その努力を否定する気もありません。

続けていることで得られる経験も確実にあります。

 

でも。

つらいことに耐えることを称賛する雰囲気のせいで、

苦しんでいる人も多いのではないか、と。

 

しかも。

嫌な経験や理不尽な経験をした人間ほど、人にもそれを強いる。

という悲しい事実もありますよね。

 

イライラしていたり、上手くいかないことが続いてると。

些細なことに腹を立てたり。

何も関係ない人にもキツくあたってしまったり。

オコリザル

 

そんな堪えきれない状況は、

自分だけでなく、他者にも悪影響を及ぼす可能性が高い。

 

「苦労をしたのだから良い人生でなくてはならない」という信念は容易に、

「苦労をしていない人たちに良い人生を送らせてはいけない」に転化するし、

「彼らが良い人生を送ってるならオレが悪い人生に変えてやる」まで行き兼ねないんです。

 

本質的には。

そういう“痛み”を知ることが出来るのが、

人間であり、知性だと思うんです。

 

「子供を育てている医者のほうが産科・小児科医として安心」

が成り立つならば。

骨折や老いを経験していない医者はどうなるのかって話ですからね(・∀・)←

 

言葉遊びをしたいのではなく。

ヤンキーは「20歳で童貞は終わってる」と考え。

スポーツマンは「普段一切運動してない人間は終わってる」と考えがちで。

教養主義者の「知識や教養がないヤツは終わってる」のような考えも、

それと同じレベルなのかな、と。

 

「何が必要か」なんて人による訳で。

自分の主観的な経験を他人に押し付けるのは見苦しい、

というのは言い過ぎでしょうか(´・ω・`)

 

そもそも論として。

程度は違えど、辛い思いはみんなしているんですよ。

 

以前、試験直前期に、

「鬱で苦しんでいる人間も沢山いるのに、楽しそうにブログを書くな」

という意見を頂いたことがあります。

 

むむ。

30年近く生きてきた私が、

地獄を経験したことがないとでも、鬱で苦しんだ経験がないとでも思うのだろうか?

という感情が湧かなかったといえばウソッキーにはなりますが( ゚Д゚)

 

自分が苦しいから、他人も苦しくあれという考えは、

特に精神的に追い込まれている時期には陥りがちなんだなと、

この時期になるとふと思い出して悲しい気持ちになったり。

 

何年も前の話を未だに根に持っている自分もあれですが(苦笑)

兎にも角にも、こんなふうに。

人によって、痛みやつらさの閾値は違いますもんね。

 

つらいものはつらい。

 

そんなときこそ。

逃げるは恥だが役に立つ、ではないですが。

環境を変えたり、一度離れてみたり。

そういう決断が必要なことも多いですよね。

 

もちろん。

何でもかんでも逃げ回ることを是とも思ってはいません。

「人生に無駄な事なんてない、どんな回り道も必ず活かされていく」

みたいなフンワリした励ましをしたいわけではないんです。

 

ニーチェフジコ・ヘミングだって。

「その時は不幸だと思っていた事が、 

 後で考えてみると、大きな幸福の為に必要だという事がよくある」

「死にたくなるほどの経験を乗り越えると、人は強くなれる」

なんて言いましたが。

 

アリストテレスやバフェットのように、

「不幸を避けることの重要性」

を説いている偉人もいて。

 

結局。

「死にたくなるほどの経験を乗り越えると、人は強くなれる」

という考え方は、生存バイアスも大きいのでしょうか。

バイバニラ

 

初めからずっと断線していますが。

人生。

万事平穏で無事なのが1番だろうとは思います。

 

「辛い経験」なんていうのは、

その当人自身の感じ方の違いが激しく。

買ってまで苦労をする必要も、個々人同列には語れない気がします。

 

当然。

避けられない不幸、というものもあります。

運命と諦めるしかない状況もあるかもしれません。

 

避けても避けきれない、

不幸への唯一ともいえる解決策は、

たぶん、時間です。

 

身も蓋もなく。

「その経過がつらい」からこそ落ち込むわけですし。

打開するのに1か月以上かかることもあります。

 

1年後も同じ有り様かもしれないですし。

10年経っても忘れないかもしれない。

 

それでも。

生きていれば、変わります。

 

良い方向か悪い方向かはともかく。

生きている、そのこと自体に意味があるのでは、と。

 

過去、現在、未来の、

それぞれにつらいことがあったとしても。

 

いま、生きているだけで、偉い。

 

悩んで止まってしまっても。

また、そのとき。

時間をかけて、考えれば良いんです。

 

棺の蓋を閉められるまで、

何が起きるかは分からないからこそ。

それまでは。

歩くような速さで。

 

ゆっくり、じっくり。

歩んでいけるように、道を選んでいきたいですね。

 

なんて。

また、何の励ましにもならず脈絡皆無な文面ですが。

「幸せ」になるための「一」になれたらという思いの一筆でした。

一筆奏上!

 

あ。

」という字に1本足すと「」みたいな話です(/・ω・)/

 

……。

ゴッ寒シティ。

年の瀬も近づいて参りましたが。

少し、心のリセットをする時間を作ることも良いかもしれませんね。

ライフイズ、ビューティフル!