国浪とんコツ日記。

真面目に不真面目なお医者、ひゃくとんによるコツコツ便り。

幸せって『落差』なのよ。

本気だして考えてみた。

 

どもども、ひゃくとんです。

 

サッカーW杯盛り上がってますね。

日本は前評判をひっくり返し、連戦の大金星。

ミーハーながらも、日本代表が活躍している姿を観られるのは純粋に嬉しいですよね。

ぷおぷおー!(ブブゼラのつもり)

 

そうそう。

わたしの友人界隈、結構サッカーファンが多いんですけれど。

W杯の話題が出るたびに、

「こんな白熱した試合が生きているうちに見られるなんて幸せだ」

が口癖なんですよ。

 

そんな簡単に幸せになれるなんて、とも感じながら、

熱狂できることがあって羨ましいな、とも思い。

 

ふと、考えるわけです。

 

幸せって、なんだろう(´・ω・`)

 

ああ、いや。

そんな重いテーマにしたいわけでもないのですが(苦笑

本当に、どうなんでしょうな、と。

 

皆さんは。

どんなことをしているときが幸せですか?

 

趣味に勤しんでるときとか。

家族と過ごしペットと戯れているときとか。

仕事終わりの一杯だったり。

お風呂上がりのアイスクリームだったり。

 

そういった、些細な日常のイベントを待ち遠しく思う人もいる傍ら。

 

念願の結婚式。

一度は行きたい憧れの海外旅行。

など。

 

生涯の一大イベントが思い浮かぶ人も多いかと存じます。

 

ときに。

皆さんは幸福量保存の法則というものをご存知でしょうか。

 

幸福量(一定)の法則ともいわれて、

「人生における幸福と不幸の量は同じだ」とする心理学の考え方の1つだそうです。

 

この法則は精神的な幸福の感じ方についての理論で、

実社会における地位や名誉とか、富、名声の有無には関係ないとのこと。

 

ふむ。(‘ω’)

 

そして。

小さな幸せは失った時のダメージも小さいけれど、

幸福の絶頂にいる人がそれを失った時は不幸のどん底に落ちる、という。

 

幸と不幸は比例関係であり表裏一体でもあるから、

プラスが大きい時はマイナスも大きく。

逆もまた然りで、結果的にプラマイゼロになるという考え方のようですね。

 

そしてそして。

それぞれの人生ごとに幸福な出来事の量は違うため、

その人の人生の幸福が30なら不幸も30、幸福100なら不幸も100になる。

幸福度が低い状態から急激に幸福になる体験をすると、

落差で平常の状態が耐えられなくなる。

 

要するに。

幸せっていうのは「落差」で生まれるということみたいです。

 

確かに、大病やとてつもなく恐ろしい経験した人ほど

日々の生活が普通である事に幸福を感じやすいですよね。

なんの変哲もない日常でも、

人によっては幸福だったり、普通だったり、退屈だったり、苦痛だったり。

 

「日常」のベースラインを意識することが大切、ということでしょうか。

 

そう考えるならば。

幸福の増幅器として「悪いこと」も機能している、

のかな、なんて。

 

幸せは「いいこと」と「悪いこと」の落差に生まれるならば、

幸せのヒントみたいなものは「いいこと」だけにあるのではなく、

「いいこと」と「悪いこと」の落差にもあるのかもしれません。

 

でも。

悪いことこそ、環境によって全くことなりますし。

出来る限り良いことだらけの人生を歩みたいですよね('ω')ノ

 

世の中には。

「置かれた場所で咲きなさい」だとか、

「人生は配られたカードで勝負するしかない」だとか。

移動する制限がなく家庭や環境に恵まれた人向け、或いは

元々の山札が強くディスティニードローが許されているような、

不都合な真実を尤もらしく語る様々な金言に溢れていますが。

 

別段。

当人が幸せなら無理しなくてもいいのかな、とは思うております。

咲かずに根を張るのも、戦わずに不戦敗でいることも。

決してわるいことばかりではありませんし。

 

もちろん、勝負しないよりも勝負している人の方が偉く評価されるのも事実ですが。

「人生、生きてるだけで素晴らしいんだよ。」系の人は、

生まれが良かったのになにかやろうと大失敗して、

どん底を味わってから復活して元の上級階級に戻った人なだけって印象もあり。

生まれた時からずっと下層の人間はそういう言葉を言わないし、

そんなセリフは言えないとも感じます。

 

辛辣が過ぎましたが。

感情も幸せも、相対的なものですからね。

量として定義付けることもまた悩ましい問題なのかもです。

モーマンタイ。

 

ちなみに。

「配られた~」の元ネタはスヌーピーなんですが。

前後のコマがあってのセリフなので、

俗世に溢れている解釈とは少しズレている気がします。

https://motivation-up.com/word/032.html より転用

 

飽く迄もスヌーピーは独り言で。

「耐えられる(stand)」とかではなく、

その手札からゲームを始める(play with)っていう、

ルーシーへの返答というよりも彼自身の考えなんですよね。

 

なんて。

深夜に書くと本当にまとまりがなくて辛い……。

幸せって難しいですね。

 

その時々で。

幸せの尺度も少しずつ変わっていくものだからでしょうか。

 

ものさし、ではないですが。

自分にとって何が幸せなのか、

節々で考え直してみるのもいいのかもしれません。

 

無論。

こうやって、時間を見つけてはブログを書いて、

皆さんに読んでもらっていることも至高の日々です(*‘ω‘ *)

冬場は物思いに耽る機会も多くなりがちですが。

深入りしすぎず、安らかに年月を過ごしていきたいものです。

ねんねん